1976年5月1日。兵庫県丹波市に生まれる。親子3代続く食品小売店の長男として育つ。兄弟に2つ年上の姉がいる。
保育園や幼稚園の記憶はどこかで頭をうったのかとおもうほどまったく記憶がない。
当時は借地に家をたてて駄菓子屋を営んでいたそうで、あられが入っていた瓶のいれものとか土間のお店、カブで配達するおばぁちゃんのイメージがわずかに残っているぐらい。
小学校に入ってお店と家が移転して借地じゃなくなって家もひろくなったが、それは父が郵便局に勤めていて安定した稼ぎがあったからということを後になって知った。
小学校では3年生から野球をはじめ、夏休みに行く練習が暑くて暑くていやでしょうがなかった、そこそこにうまくなりレギュラーをもらっていたが打つのはうまくなれなかった。同級生の親友であるヒロ君がサウスポーのピッチャーで投げるのも打つのも抜群でうらやましかったが、努力してまで追いつきたくはなかった。もう少しほめられてたらうまくなってたのかもしれないと今はおもう。
ただ、小学校のこの経験が大きくなって草野球チームをつくることになったり、誘われたら付き合う程度に野球が好きになることにつながり、それが縁で人とのつながりも拡がることになったのは間違いではない。
習い事は習字やそろばんをしていた?させていただいていた?させられていた?のだが、だいたい小学校の終わりまでつづけるのが慣例のようだったが、私はどちらも最後まではつづかなかった。結婚をして子供ができて、わが子が私がならっていた6級をいとも簡単に追い越していくのをみて、当時の自分のレベルの低さが垣間見えた。
遠山の金さん、暴れん坊将軍、ライオン丸、ギャバン、シャリバンと特撮ヒーローや時代の将軍様に育てられ、正義感だけは人一倍強いいたずらっ子ができあがり、泣いている子がいたらしかえしをしてやり、面白からといってはちょっかいをだし泣かしていた。
~挫折感、そして反発心~
私は結果的に窓ガラスを割ったり、物をこわしてよく起こられた、狙ってやっているわけではないのによく割れて、父にも母にも何かと怒られた。
母の怒りかたでは弱いので、最終的に父に伝えられ、またこれでもかというぐらいに父からも怒られた。
私はちょっとドジだったのかなぁと今となっては思うが。
このころから父に対する反発心のようなものが芽生え始めていたように思う。
それは高学年になって好きな女の子ができるようになってからさらにはっきりした反発心や抵抗として父みたいな厳しい大人にはならずに、もっとおおらかな大きな人になりたいと思うようになっていた。
小学校の卒業文集に書いた将来の夢は孫悟空の衣装を来た自分の似顔絵を書き「大きな大人になること」だった。
~生き方の源泉と成功体験~
中学校にはいって野球にあまり未練のなかった私は、父も若い時にやっていたというバスケットボールをはじめることにした。
小学6年生で身長がのびなくなったわたしの最後のあがきとして始めたという理由もあったかもしれないが、身長よりも筋肉がしっかりとついていた私は身長はないけど当たり負けないところがあり、ここでもなんとかレギュラーをさせていただいた。
先生やメンバーにもめぐまれ、県大会のベスト4まで行けたときには、ここではじめて父にみとめられるぐらいの成績を残したと思った。
そんなことよりも小学校の野球とくらべて、しんどくてもうまくなって勝つ、みんなで勝つという喜びを覚えた部活動はなによりも楽しかった。
2年半、特に勉強に意欲を燃やすことなくバスケットボールに没頭した瞬間だった。
中学2年になったころ、進路を考えるというタイミングがきて私の伝説に残るエピソード「瀬戸大橋見学」がおきた。
たんに当時完成した瀬戸大橋をみにいくという家族旅行だったのだけど、私は私史上みたことがなかった橋の大きさとスケールにしびれることになり、将来の夢である「大きな人になること」がここでピンと繋がったような衝撃をうけたのである。
私はそこから瀬戸大橋を作れるような勉強をして、瀬戸大橋を作れるような会社に就職することを決意し、舞鶴工業高等専門学校を目指すことになった。
その時の先生からは「まず今のままで合格するのは100%無理。」といわれたので、テレビでみたような「めざせ合格」的な張り紙を部屋中にはり、机に向かったのを覚えてている。
やればできるとか、道は開けるとかいうポジティブな性格はこのころに確立されたような気がする。
~彼女ができる~ 父とのエピソード①
私の人生に大きく影響を与えている父との強烈なエピソードがこのころにあったので記録しておく。
進路を決め始める前か後かのころに付き合うようになった女子がいた。積極的な子で手をつないだり、多くを求めてきたし家にも遊びに行きたいといってきて、はじめて遊びに来た日、彼女との妄想は膨らむばかりで落ち着きのない状態だった私に父からの呼び出しの声、行ってみるといきなり「そのようなことはまだはやい。」と叱られ、彼女も強制的に家に帰らされるという彼氏として格好のわるい体験をした。なんでいまなのか?好きだけど嫌いな父とのかみ合わない物語の始まりだった。