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ヤマザキYショップおぎのとは?

こちらは丹波市春日町中山のヤマザキYショップおぎのと言います。
年中無休の朝7時~夜10時まで営業させていただいております。
ヤマザキ製パンの商品を中心に一般的なコンビニエンスストアのような品ぞろえで営業させていただいております。
以前は車庫だったところを昔むかしに店舗に変えました。
お店に向かって右手には休憩室を用意していまして、縁側っぽい椅子もご用意してございます。
ちょっといっぷくしたり、ご飯を食べたりとそれぞれの使い方でご利用しただいております。

電話番号は0795-75-0322
FAX番号は0795-75-0338
メールはinfo@ogino.cc

商品やサービスのお話はもとより地域に根差したコンビニエンスストアといううたい文句で営業させていただいておりますので、いろんな事を地域でもさせていただいていますので、いろいろご紹介できますし、いろんなご質問も承ります。どうぞお気軽にお問い合わせください。

ヤマザキショップとは?

ヤマザキショップの秘密を教えましょう!

ヤマザキショップはヤマザキYショップとかYショップといいまして

ヤマザキのヤをローマ字表記してYショップと言ったりします。

そう、ご存知の通り、ランチパックなどでおなじみのヤマザキ製パンのお店でございます。

ヤマザキYショップっていうお店はヤマザキ製パン-Wikipediaを確認してもらえばわかりますように、ヤマザキ製パンが持っているチェーンの1つになります。

よくデイリーヤマザキとどこが違うのとか言われて、まったく違うんだけど説明がしにくかったりして、「24時間しなくていい方のお店です。」とか「振り込みできないほうです。」とか言っちゃったりしてますが、Yショップはいままでやってたお店に付け足す感じではじめられちゃったりするチェーンで割とお店の店主の自由が利くチェーンになるのでクリーニングを一緒にやっちゃったりとか、農機具を一緒に売っちゃったりだとか、営業時間がサンバラバンだったりだとか、同じYショップという割りには立地や商環境によってバラエティ豊かな営業形態ができちゃうチェーンです。

※たとえやすいところで違いの説明をしているので、全国的にみれば振り込みのできるヤマザキショップもあるかもしれませんし、24時間やっているお店もあるかもしれません。正しくは実際の店舗でお確かめください。

逆に共通点はどこにあるのといいますと。

パンの物流が同じなので、八割方は同じ商品が入ります。

ただ、ここは天下のヤマザキパンということで、取引先がやたらとひろいので、どこもおんなじ商品だと差別化できないということで、スーパーならスーパー専用商品、デイリーならデイリー専用商品、ヤマザキショップならヤマザキショップ専用の限定商品という具合でお店に応じた商品開発をとっても頑張ってくださっています。

その頻度はパンの新商品だけでも毎月30~40種類×各地の工場によって変わってきますので、商品開発だけでも並々ならぬ力がそそがれているのだろうなと私も関心するばかりです。

そんなこんなでヤマザキショップとはヤマザキパンのチェーン店でも味のある方と理解していただけたら幸いです。

当地で営業を始めて平成30年4月で17年目に突入いたしました。

地域のみなさんにごひいきをいただきまして、年中無休で頑張っております。お近くにお寄りの際はぜひおたち頂きますようお願いいたします。

店主 荻野幸一朗 敬白

当社沿革 創業~現在~未来

実は当店、意外と歴史がありまして

創業〜成熟期 昭和33年(1958年)

初代公⼆が第⼆次世界⼤戦から還ってきたのち、兵庫県春⽇町中⼭で⾖腐屋から始め、酒類販売、たばこ販売と取扱い品⽬を増やしていき、荻野酒店が誕⽣しました。当時、町で店屋が3店舗ほどしかなかったことや⾼度経済成⻑の波にものり商売は順調に成⻑していきました。
そんななか公⼆が森林組合での事故が原因で歩けなくなるなどし、公⼆の妻である澄⼦がお店のきりもりをひきついでいきました。

現店主誕⽣ 昭和51年(1976年)

郵便局に勤める公⼆の息⼦、典範(みちのり)のもとに⼀⼈⽬の男の⼦ができました。現店主となる私、幸⼀朗でした。当時の⼩学校は1学年が40⼈近い学級ばかりで、現在の総児童数100⼈の⼩学校の事を思うと当時の活況ぶりがうかがいしれます。

成熟〜衰退期 平成5年(1993年)

⼤規模⼩売店舗⽴地法や⼩売店免許制度の規制緩和がすすみ、当⽅の町にも⼤型スーパーやディスカウントスーパーができるようになりました。
⼩規模⼩売店は専⾨店化や廃業の選択を迫られるようになり、家族経営の荻野酒店はまさに渦中の存在となりました。
この当時、祖⽗はすでになくなっており、祖⺟澄⼦が事業の中⼼を担い、⺟悦⼦がそれを⽀えるという形でした。
息⼦幸⼀朗、娘祐⼦はそれぞれ違う道を歩んでおり、酒屋は郵便局に勤める⽗(典範)が定年後にのんびりやるという考えでいました。

⽗の他界 平成8年(1996年)

定年後にのんびりやるといっていた⽗が⼼臓の病いで突然に亡くなってしまいます。⼥性ばかりの所帯になってしまった荻野酒店は息⼦幸⼀朗に事業の継続か廃業かの判断をゆだねることになりました。中学校からの夢の職業である⼟⽊⼯事の施⼯管理をしていた私は、名古屋にいるか、家業を継ぐかの判断を迫られます。現在の妻である同窓の同級⽣の彼⼥との真剣な交際をしていた私は名古屋でも現場を往復する暮らしと彼⼥や家業のある暮らしを天秤にかけ⽥舎に帰る決断をしました。

第⼆創業 平成13年(2001年)
⽥舎に帰り酒屋を⼿伝っていた私は商売経験もないなかで事業の将来の事を考え、当時全国的に出店が加速していたコンビニエンスストアに⽬を付け、一念発起をして酒屋からの業態転換に挑みました。新店舗オープン
と同時に結婚、忙しくも楽しい毎⽇がはじまります。

第⼆創業事業の成⻑〜成熟 平成20年(2008年)ごろ

業態転換は成功。売上も収益も倍増しました。
が、それもつかのま地域は少⼦⾼齢化に突⼊。私は新たなお客様をもとめ施設内売店を進めてゆきました。

多店舗化の推進 平成27年(2015年)ごろ

周囲の環境に影響を受けやすい路⾯店よりも決まったお客様に定期的にご利⽤いただける施設内店での実績をもとに、柏原病院店、多可⾚⼗字病院店、宝殿駅前店、姫路中央病院店を開業しました。

多店舗展開からの⽅向転換 平成30年(2019年)ごろ

駅前店舗、施設内店舗の閉店。
駅前店は駅周辺の⼤型病院が移転するなどの周辺環境の変化とクルーとのコミュニケーション不⾜から引き継いだ時の業績改善に⻑引き撤退の判断となりました。
施設内店は開店当初より家主さんが求める家賃と当⽅が収められる家賃に差があり、交渉を続けてきましたが歩み寄りができず契約途中での解約となりました。

総じて、このYショップやデイリーストアという業態の多店舗展開というのは利害関係者との間が相応にうまくいかないとなりたたないという事がわかりまして、同じ店舗の繰り返してはなくひとつひとつその場所に応じて丁寧に作り上げるものであることを感じることになりました。

お店は仕事場から志事場 ものを買う場所から交流をする場所へ 平成35年ころ(夢のおはなし)

⽉初め、株式会社となったおぎのグループの営業本部に各地からいろいろな報告が⼊る、メールやライン、SNS、電話やFAXそれぞれの担当者がそれぞれの得意な⽅法で情報共有を⾏う。
インフォメーションテクノロジーはもはや使うものを選ぶのではなく、使う⼈の状態や環境に応じて使う側がアレンジできるほど、⾔語のように⽇常化した。確定申告や酒税報告など⾏政に対する義務事項もそれ⾃
⾝に⼿をかけることはほとんどなくなり、ボタンを押せばほぼオートメーションで報告書ができあがる。
もはや、計算業務をするための専⾨家は必要なくなり、すべての⼈が同僚や家族やお客様という会社や⾃分にとって⼤切な⼈へ接することにその⼒のすべてをそそぐことのできる環境がととのってきました。
またそのことこそが会社にとっても、本⼈にとっても⼤切なことであるという考え⽅ができるようになり、世の中はようやくアドラーの考え⽅を受け⼊れ始めました。

社会には個⼈事業主が増え、専業、兼業、副業とらわれず、⾃分の時間を利⽤してやりたいことをやって⽣きる⼈、時間にとらわれず、⾃分のやりたいことをやって⽣きることが幸せという考えが認められる時代になってきた。

仕事を⾷べるための⼿段としてではなく、⾃⼰実現や⾃⼰表現のツールや場として考えられる素地ができ、またそうしたい⼈たちの集団となったおぎのグループのクルーの⽬には、コンピューターやAIに⾃分の仕事をとられてしまう恐怖ではなく、誰かのために貢献できることに⾃信とやりがいを感じキラキラと光り輝く希望が満ち溢れている。

平成30年後半より取り掛かってきた⺠泊事業は数⼗件の空き家を管理して毎⽇いろんなお客様に利⽤いただいている。地域活性の⼀助として取り組みを始めたコミュニティカフェ事業も⼀つの事例で評判を呼び、そういったカフェビジネスをしたいという⼈にノウハウを提供するコンサル事業として成⻑してきた。
空き家、過疎、⾼齢化、少⼦化。
すべての課題はもはや当社にとっての課題ではなく、地域活性化とお客
様やクルーに新たな喜びを⽣み出すカギとなり、新しい世界をみせようとしている。

私の仕事観

当店で一緒に働くクルーのみんなと共有している言葉です。

「 For You」と「感謝」
あなたは誰のために仕事をしますか︖
誰のために早起きしますか︖
誰のために化粧をしますか︖
誰のためにきれいでいますか︖
誰のためにダイエットしますか︖
誰のために頑張りますか︖
誰のためにかけがえのない命を使いますか︖

⾃分の⾏動の中⼼にいつも⼤切な誰かや何かを思い浮かべましょう
両親、夫、妻、⼦供、苦しんでいる⼈、楽しんでいる⼈、さまざまな⼈がいると思います
⼭や川、⾃然や地球など⼈以外のものかもしれません
もしも、誰かのためにかわからなくなったら、⼀度⽴ち⽌まって点検しましょう

そして

⼤切な誰かを胸に置き、⼀⽇をその⼈のために⽣きると約束してください
⼼の底に刻むように 強く︕もっと強く︕

仕事とはお客様あってのものです ⼯場の流れ仕事にしても、裁縫の仕事であってもお客様の顔は⽬に⾒えないですが、商品を⼿にするのは必ずその先にいる誰かです
書類や機械を触るだけの仕事であったとしても必ず最後は誰かがその事を味わいます

いつもあなたは誰かのために何かをしています
そのことをきちんと理解して⾏動できるようになると
感じて動く「感動」が与えられるようになります
感じて動かす事ができるようになると
なかには感謝をしてくれる⽅もでてくると思います

そんな経験を与えてくれる⾃分の周りの⼈・物・事にあなたはしっかりと「感謝」しましょう
⼝に出して「ありがとう」をいいましょう︕
仲間の喜びを⾃分のことのように喜びましょう
よいこともよくないことも経験として感謝できる⼈になりましょう
「FOR YOU」と「感謝」は
幸せに⽣きる⼈の習慣であり、誰もが成功できる唯一の条件です。

私たちの信条(CRED)

サービスの3ステップ
1,あたたかい、⼼からのご挨拶
2,⼀⼈⼀⼈のお客様のニーズを先読みしお応えします。
3,感じのよいお⾒送り
モットー(⾏動指針)
私たちは紳⼠・淑⼥に商品とサービスを提供する紳⼠・淑⼥です。
信条(CRED)
私たちクルーはお客様に快適なお買い物の時間を提供することを、最も⼤切な使命と⼼得ています。私
たちはお客様に⼼安らぐ快適な雰囲気を常にお楽しみいただくために最⾼のパーソナルサービスを提
供することをお約束します。
お客様が経験されるもの、それは感覚を満たす⼼地よさ、満ち⾜りた幸福感、そしてお客様の⾔葉に
されない願望やニーズを先読みしてお応えするサービスの⼼です。
従業員へのお約束
Yshopおぎのではお客様へお約束したサービスを提供する上で、真摯、信頼、誠実、尊敬、⾼潔、決
意を原則とし私たちは個⼈とお店の為になるように持てる才能を育成し、最⼤限に伸ばします。
多様性を尊重し、充実した⽣活を深め、個⼈の志を実現し、Yshopおぎのの神秘性を⾼めます。また
経営者はこのような職場環境をはぐくみます。
サービス・バリューズ(サービス品質)
私はYshopおぎのの⼀員であることを誇りに思います。
1,私は強い⼈間関係を築き、⽣涯のゲストを獲得します。
2,私はお客様の願望やニーズには、⾔葉にされるものも、されないものも、常にお応えします。
3,私にはパーソナルな経験をお客様にもたらすため、エンパワーメント(個⼈的権⼒)が与えられて
います。
4,私はお客様とこの場所での経験に⾰新をもたらし、よりよいものにするための機会を常に求め
ます。
5,私はお客様の問題を常に⾃分のものとしてうけとめ、直ちに解決いたします。
6,私はお客様やクルー同⼠のニーズを満たすようチームワークとラテラルサービス(仲間への貢献)
を実践するための環境を築きます。
7,私には絶えず学び、成⻑する機会があります。
8,私は、⾃分のプロフェッショナルな⾝だしなみ、⾔葉遣い、ふるまいに誇りを持ちます。
9,私は、お客様、職場の仲間、そしてお店の機密情報及び資産についてプライバシーとセキュリティ
ーを守ります。
10,私には妥協のない清潔さを保ち、安全で事故のない環境を築く責任があります。

ヤマザキショップ5

同友会の紹介ページ

経営理念

1.(⽬的理念)
私たちは商品の販売やサービスを通じてお客様の
楽しく快適な⽣活を実現します。
楽しく快適な⽣活は健やかな⼼と体を育み
⼈類をより確かな未来へと導きます。

2.(⾏動理念)
お客様に好かれて気に⼊られ喜ばれ忘れられない⾏動をします。

3.(福祉理念)
会社(店舗)という学びの場で共に学び共に育つ⽣徒として
⽇々研鑽し個⼈の能⼒を最⼤限に⾼め成⻑し続けます。
また経営者はそのための時間と機会を提供し⽣徒の願望や夢が
実現できる職場環境を提供します。

4.(社会理念)
地球や地域の資源を限りのある貴重な財産として⼤切にし
よりよい形で後世にたくせるよう持続可能な活動に⼒を使います。